第38回 昆虫食

皆さんは昔、甘辛く炊いたイナゴ(イネの葉を食べるバッタのような昆虫)を食べたことがありますか。私は小学生の頃、おいしく食べた覚えがあります。日本は昔から昆虫大国で、各地方でイナゴ、蜂の子、セミなどが食べられてきました。世界でも、アジア・アフリカを中心に1900以上の昆虫が20億人に食べられているそうです。

今後は地球の人口増加にともない、食料不足が懸念されます。昆虫食には良質なタンパク質、コレステロールを減らす不飽和脂肪酸、ミネラルなどが含まれています。飼料としても変換効率が良く、現在では牛肉1Kgを得るには8Kgの餌が必要なのに対し、昆虫食で行うとすると、約4分の1の2Kgで済むそうです。

昆虫の飼育にしても、狭い土地で養殖でき、水もほとんど不要で、家畜に比べてメタンガスの排出も少量と良いところずくめだそうです。すでにベルギーでは昆虫食の認可がおりており、フランスでも昆虫食への気運が高まっているそうです。

第37回 「早起きは三文の得」の意味

私はよく「みやざき中央新聞」というユニークな新聞を読みます。この新聞の中で水谷謹人(もりひと)氏の書いた興味深い文章を見つけました。その文章の内容は次のようなものでした。

このことわざは「早起きすると三文も得するから、早く起きる習慣をつけた方がいい」というような意味で使われていると思います。ではいったい「三文」とは現在のお金にしてみると、いくらくらいになるのでしょうか。

ところで、「三文」ということばを使った熟語はいろいろあります。1つ目は「三文芝居」。これは、「つまらない芝居」のことをいいます。2つ目は「二束三文」。これは「2つを束にして売っても三文にしかならない商品」のことをいいます。3つ目は「三文判」。これは「安物の判子」のことをいいます。

このことからわかるように、「三文」は大して価値のないものの代名詞のようです。実際に江戸時代の「三文」を今のお金に換算すると、90円くらいだそうです。では、早起きはなぜ「三文の得」なのでしょうか。むしろ、「早起きしても90円くらいの価値しかないよ」ということなのでしょうか。

これについて書かれた水谷氏の文章に、私はとても感動しました。水谷氏は、このことわざの「三文の得」は「得する」「損する」の「得」ではなく、人としての生き方を示す「美徳」の「徳」のことではないかと言うのです。

つまり、「三文ほどのちっぽけな徳」でも毎朝それを続けていくと、それが習慣となり、やがてその習慣が徳のある人格をつくっていくのではないか、と主張します。確かに、早起きを続けるのは、意志の力も必要で、大変なことです。でも、その習慣を獲得すれば頭も冴え、仕事の能率も上がります。

私はこの水谷氏の文章から、日々ますます早起きの習慣を確立しようと心に誓いました。

第36回 トランス脂肪酸の恐怖②

それは、「コーヒーフレッシュ」は「ミルク」とは似て非なる植物油に、界面活性剤を混ぜた化学合成物質だからです。そのようにして作られた化学合成物質に、着色料や香料を入れてできたのが「コーヒーフレッシュ」なのです。それらの化学物質は分解されず、体に蓄積したり、体のいろいろな部位に変調をきたしたりする恐れもあります。ですから、私は決してとる気にはなりません。本当のミルクから作られているわけではなく、植物油を化学合成して作られたものですから、値段が安いのも納得できますね。

トランス脂肪酸も植物油から作られている化学合成物質です。トランス脂肪酸が多く含まれているショートニングを使った油で揚げ物をすると、何回使っても油が酸化しません。そこで、安い価格を売りにする居酒屋さんなどの揚げ物に大活躍しているそうです。

トランス脂肪酸は子どもが食べるお菓子(例えば○○のマーチ)などにもかなり入っているようです。そのようなことがなぜわかるかというと、日本と違い、トランス脂肪酸の規制が厳しい香港やシンガポールの日本の商品原材料表示ラベルに書いてあるからだそうです。「○○のマーチ」では商品100g当たり、トランス脂肪酸が4.8gも入っていて、子どもが一箱をまるごと食べると、WHOが定める一日のトランス脂肪酸の上限を超えてしまうのだそうです。

日本の食品は世界一安全だと思っていましたが、このような情報が香港やシンガポールからしか得られないと知り、悲しい気分になりました。

第35回 トランス脂肪酸の恐怖①

皆さんは、トランス脂肪酸についてご存知ですか。マーガリンやお菓子などに使われている「バターもどき」の合成化学物質です。トランス脂肪酸は、植物油を化学合成して作られている一種の液体プラスチックともいうべきものです。トランス脂肪酸は動脈硬化などを引き起こすとされているので、欧米では、その使用が禁止されたり制限されたりしています。しかし、日本ではそれが堂々と野放しで使用されています。

皆さんはコーヒーを飲まれるとき、小さなカップに入ったコーヒーフレッシュと言われている「白いミルクのような液体」を入れますか。少し高級な喫茶店でコーヒーを飲むときには、鉄製のポットに入った「ミルク」が出て、しばらくすると回収されます。それは、それが「本当のミルク」だからです。しかし、コーヒーフレッシュはスーパーなどの売り場に常温で山積みされています。
その違いはなぜなのでしょうか。

第34回 ロボットの社会

今までのアメリカなどの歴史を見ると、テクノロジーの進歩によって職を失う人も出ましたが、また新しい仕事も増え、社会はうまく回ってきました。例えば、農業が機械化された時代には、何百万人もの人が職を失いました。しかし、失業した農業労働者は都市へ流入し、工場での職を得たので社会はうまく回りました。

しかし、今の時代はその時代とは様相が異なるようです。その背景はロボットの登場です。例えば、アメリカのある会社は、高品質ハンバーガー製造の完全自動化に成功しつつあります。その機械は、生のひき肉からバーガーをこしらえ、注文に応じて焼き上げ、焦げ目をつけながら肉汁を内に閉じ込めることまでするそうです。

そのような機械ができあがると人手は不要になり、職を失う人がどんどん増えます。スーパーマーケットでは、客がスマートフォンでバーコードを読み取り、支払いを済ませるシステムができあがるかもしれません。すると、レジ係は不要になります。車は自動運転になり、どこでも車を呼び出せ、目的地まで運んでくれるシステムができあがるかもしれません。するとタクシーの運転手は不要になります。さらに車を個人が所有することすら不要になります。

このようなことが進んでいったら、世界はどのようになるのでしょうか。それは決してバラ色ではないようです。ロボットの社会がどんどん進むと雇用は減少し、失業する人が増えます。すると、多くの消費者の所得と購買力が減ります。

つぶれる企業も増えていくことでしょう。すると、経済成長を支えるのに不可欠な需要が先細りしていきます。労働者が機械に置き換わっていったからといって、機械が買い物に出かけることはありません。つまり、機械が作るものを買う人が減ります。そして最終的には機械もいずれ不要になるでしょう。

このように考えていくと、これからの世の中はいったいどのようなものになるでしょうか。また、技術の進歩は人類をどのような世界に導いていくのでしょうか。

第33回 最近の大学の入学式

以後の文章は、大阪大学 大学院 人間科学研究科 教授 小野田正利氏の講演会の内容からヒントをいただいております。

昔の大学の入学式や卒業式は、「学生のみが出席する」という形が一般的でした。しかし、1980年代の後半からは、親御さんも一緒に参加するという形に変わってきたようです。

ある大学の事務の課長さんは、入学式や卒業式の会場のイスの数をいくつ用意するかで、毎年頭を悩ますそうです。ちなみに、その大学でのイスの数のめやすは、「入学する学生数×3.5」だそうです。3.5という数字には、「本人、父、母、そしておじいちゃんまたはおばあちゃん」が見込まれているそうです。そして、式の当日には、式の始まる1時間も前から「われ先に」と父親や母親が最前列の席をとるために走り回るそうです。この光景は、保育園の入園式とか小学校の運動会そっくりだということです。

このように、今や大学はIT産業ならぬ「至れり(I)尽くせり(T)」の機関になっているようです。一昔前の大学生なら、とたえ両親と一緒に来ても「父ちゃん、母ちゃん、大学の入学式は俺自身のことだから、俺一人で行ってくるよ。2人はこのファミレスでお茶でも飲んで待っててよ」などと言って一人で出席したことでしょう。この入学式の現象が、海外の若者に比べ、今の日本の若者がひ弱になってきている徴候だとしたら、日本の将来が少し不安になります。

第32回 アドラー心理学②

では、アドラー心理学では、先ほどの例について具体的にどのように対応するのでしょうか。

例えばその1つとして、次のような対応があります。部屋の中に大きな箱を置きます。そして母親は子供にこう宣言します。「○○ちゃん、お母さんはあなたがおもちゃで遊んだ後、片付けてくれるとうれしいわ( Iメッセージを使う)。 もし、ちらかしっぱなしでお母さんが片付けるとなると、とても大変なのでそれはやめにしたいの。そこで、もしあなたが片付けをしないときは、お母さんはそのおもちゃをこの箱の中に入れるので、了解してね。」そして、それを子どもとの約束にします。

さて、その結果はどうなるでしょうか。

もし、子どもがちらかしっぱなしにすると、大きな箱の中はおもちゃで一杯になります。すると子どもは次のとき、何かのおもちゃで遊ぼうとした場合、その箱の中をひっかきまわして探さねばなりません。そこにアドラーの真髄の1つがあります。

それは、人間は体験の中から学ぶということです。簡単に言えば、「痛い思いを通じて学ぶ」ということでしょうか。親がいつまでも子どもの後を追いかけて片付け回っていたとしたら、いつまでたっても子は自立できません。アドラーは自分の領域と他者の領域を分け、それぞれに踏み込んではならないと言っています。親離れできない子、子離れできない親が増えていると言われる昨今、それはとても大切なことのようです。

第31回 アドラー心理学①

皆さんはアドラー心理学をご存知ですか。塾にたずさわる方なら、コーチングとともに、このアドラー心理学は知っておかれて損はないと思います。

私は、アドラー心理学に関して数冊の本を読みましたが、その理論の斬新さに驚きました。例えば、皆さんに5才くらいのお子さんがおられたとして、遊んだ後のおもちゃを片付けなかったとします。この子に対し、皆さんならどのような態度をとられますか。

こんな母親もいるかもしれません。「○○ちゃん、何で片付けないの。いつもお母さんが『遊んだらお片付けしなさい』と言っているでしょ。あと10分で片付けなさい。そうしないと晩ご飯抜きよ!」この言葉によって、子どもはいやいや片付けるかも知れません。でも、心から納得し、次からはきちんと片付けをすることになるでしょうか。

アドラー心理学では、「褒める」ことも「叱る」ことも勧めていません。「褒める」「叱る」で育てると、「褒める」「叱る」でしか動かない子をつくると考えるのです。つまり、それでは「自分から考えて行動する」という人間は育ちにくいというのです。

アドラー心理学では、「片付けができたから、おりこうね」という言葉も、「片付けをしなさい」という言葉も否定します。なぜなら、それらは上から目線の言葉だからです。アドラー心理学ではそうでなく、フラットな目線と対等な人間関係を目指しています。