第199回 太陽は何色?

もし皆さんが子どもの頃に戻って絵の中に太陽を描くとすれば、何色にしますか。外国の子どもが太陽を描くとき、その色は大概、黄色か輪郭だけつけて白のままにするそうです。

では、日本の子どもはどうでしょうか。赤色や朱色で塗ることが多いようです。

では、どうして日本人の子どもは太陽を赤色や朱色に色づけるのでしょうか。それは、日本人としての遺伝子に関係するようです。私たち日本人は、「朝日に向かって手を合わせる」などの習慣を持っています。また、仏教では、「浄土」はお釈迦様の生誕地であるインド、つまりはるか西の彼方にあると言われています。そこで、西方の極楽浄土を想い、夕日に向かって手を合わせる人もいます。どうも、「日本の子どもの描く赤い太陽」には、そんなことが関係しているようです。

第198回 野菜の名前当てクイズ

さて、今回は野菜の名前当てクイズをしましょう。皆様は以下の4枚の写真に写っている野菜の名をご存知ですか。
写真はこちら:
http://www.tsumugi.ne.jp/photo/yomoyama/20180827.html

一枚目の美しい花は何の花でしょうか。沖縄によく咲いている花と似ていませんか。これはオクラの花です。オクラはハイビスカスの仲間なのです。なお、このオクラの花は食べることができます。食べるとオクラの実と同様、ヌルヌルしています。この花が咲いた後、とんがった方が上になった形でオクラの実が生長します。

二枚目はイタリア料理の材料としてよく使われるバジル、三枚目はクレオパトラが好んで食べたと言われるモロヘイヤです。四枚目の野菜が何であるか言い当てられた方は、よほどの野菜通と言ってよいでしょう。

これはオカワカメといって、つる状の茎に肉厚の葉がつき、食べるとワカメのようにヌルッとして少し苦味のある野菜です。プランターに二株ほど植えるだけで、このような茂みになります。
これらは、どれも栄養に富んだ野菜で、私は毎朝これらを少し摘んで食べています。どの野菜もプランターで育てることができます。ご興味のある方は、来年その栽培に挑戦してみてはいかがでしょうか。

第197回 キラキラネーム

キラキラネーム(またはDQNネーム)をご存知ですか?キラキラネームとは、亜里沙(ありさ)などのような洋風でおしゃれな名前のことをいいます。またそれは、DQNネームといいます。ちなみにDQNは「ドキュン」と読むそうです。

ではキラキラネームにはどんなものがあるでしょうか。例えば「緑夢」という名があります。これは「りょくむ」と読むのではありません。「ぐりむ」と読むそうです。「緑」の音は「りょく」で訓は「みどり」のはずです。一体なぜ「緑」が「ぐり」なのでしょうか。

それは、子どもに名前をつける場合には、漢字をどのように読んでも構わないという規定があるからだそうです。

次の名はどうでしょうか。「雅龍」。「がりゅう」と読み、男の子のたくましい名を連想します。それが大違いです。「がある」と読み、女の子の名前だそうです。一体「がある」の「あ」はどこから来たのでしょうか。「頼音」はどうでしょうか。これは、音読み通り「ライオン」です。たくましい名前ですね。「姫凜」はどうでしょうか。普通に読むなら「ひめりん」か「きりん」です。何とこれは「ぷりん」と読ませるそうです。名前に使う漢字はどう読んでも構わないので、「食べたいくらいかわいい」という意味で「ぷりん」と読ませるそうです。「黄熊」はどうでしょう。黄色い熊だから「ぷうさん」だそうです。もうこれは日本語や漢字の常識を超えていますね。

これらの名をよく分析すると、大抵は外国製のかわいいものを漢字で読めるようにするというものばかりです。日本人の心の奥底には、外国に憧れる気持ちがあるのかもしれません。それにしても、こんな名前ばかりが増えると、学校の先生は朝、生徒の出席をとる際には、とても苦労することでしょう。

第196回 五つの欲求

五つの欲求と聞くと、アメリカの心理学者アブラハム・マズローの「5段階の欲求」をまず連想します。それに対し、別の見方からの「五つの欲求」もあるようです。私は、ある記事からその「五つの欲求」を知って、「なるほど、これは人のタイプを知るのにとても良い見方だ」と感じました。その「五つの欲求」は(有)志縁塾代表の大谷由里子氏が紹介しているものです。

まず一つ目は、「愛情の欲求」だそうです。この欲求が強い人は、放って置かれると機嫌が悪くなるそうです。つまり、いつも周りからの愛情を感じていたいタイプなのです。

二つ目は「承認の欲求」だそうです。この欲求が強い人は、「認められたい」「尊敬されたい」といつも思うようです。そして、人からは「頼りにしています」などの言葉を掛けられると嬉しく思います。

三つ目は「自由の欲求」です。この欲求が強い人は、自分で決めることにこだわり、人から「あれせい、これせい」と言われることを嫌います。

四つ目は「挑戦の欲求」です。この欲求が強い人は、「新しいことをしたい。もっと学びたい」などの気持ちが人より強いようです。また人からは「○○さん、変わっていますね」などとよく言われますが、このタイプの人にとっては、それが褒め言葉になるようです。

五つ目は「安心の欲求」です。この欲求が大きい人は、安心、安定を求め、人からは「大丈夫だよ」と言われると安心するようです。この「五つの欲求」を自分に当てはめてみて、「なるほど当たっている」と感じました。私は「承認の欲求」「自由の欲求」「挑戦の欲求」の3つについては強いこだわりを持っています。しかし、愛情や安心の欲求については、淡泊な方です。

つまり、「人から愛されたい」とか、「安らかな生活を送りたい」という気持ちより、「自分を向上させたい」とか、「自由でいたい」「良い仕事をして人から認められたい」という気持ちを強く持っています。そして、「鳥居さんは他の人と違う」とか「変わった人だ」と言われると、なぜか嬉しくなります。

一方、このような私に対して「安心の欲求」や「愛情の欲求」を最優先している方もおられることでしょう。人のタイプは様々ですから、自分の価値観を人に押しつけたり、自分のものさしで人を計ったりすることはトラブルの元になることでしょう。
この「五つの欲求」をいつも頭においておくと、相手をよく理解できるとともに、お互いを認め合う関係が生まれるのではないかと感じました。

第195回 人類にとっての「奇跡の一万年」とは?

私は出張のついでに青森県にある三内丸山遺跡に行ったことがあります。そこに行って驚いたことは、そのころの縄文人は、とても豊かな生活を送り、平和に暮らしていたということです。その縄文時代は何と一万年以上も続きました。日本にある縄文の遺跡は、数千ヶ所もあります。そのころの海外にある遺跡では、武器や戦って死んだ人の痕跡が残っています。

しかし、縄文時代の遺跡には、そのようなものは一切出土しないのです。食べ物も、海草、アワビ、魚などの海のものや、ウサギなどの小動物をふんだんに食べました。また、栗の木をたくさん植え、栗の実も常食していたようです。

このように、日本の縄文人は皆仲良く暮らし、争って殺し合うということをしませんでした。これは、世界に類を見ないことのようです。その後の日本では、第二次世界大戦で敗戦するまでは戦いの連続でした。現代人と縄文人では、何がどう違うのか、とても興味深いものです。

第194回 ヤバいの語源

「ヤバい」という言葉は、本来「危ない」という意味を表します。それが今では「このケーキ、ヤバい!」などのように使われ、「おいしい」という意味まで持つようになりました。では、その「ヤバい」の語源は何なのでしょうか。

1つ目の説は、「厄場(やくば)」から転じて「ヤバ」になったというものだそうです。厄場とは、江戸時代に犯罪者を収容する牢屋のことです。そこで、「やくば」という言葉は、「牢獄へ入れられるような危ない橋を渡る」という意味で使われ、それが「ヤバい」になったようです。

2つ目の説は、江戸時代に庶民が的当ての矢で遊んだ、遊技場である「矢場(ヤバ)」からきたというものです。そこで働いている人は、矢を回収するときに危険が一杯でした。そのため、危ないことを「ヤバい」というようになったとのことです。

さて、「危ない」という意味を表す言葉が「おいしい」という意味も表すとは、驚きです。江戸時代の人々もビックリすることでしょう。

第193回 ジェネレーションギャップ

(有)志緑塾代表の大谷由里子さんの講演のダイジェスト文を読んでいて、「なるほど、今の若い人とは、このようなジェネレーションギャップがあるのか」と驚いたことがあります。

例えば「電話による通信」がそうです。私たち60代の若い頃は、電話による通信といえば、黒電話による通信でした。友人と話をするためにその家に電話をかけると、まず友人のお父さんやお母さんが電話に出られました。そこで、少々のやりとりがあって、次に友人に取り次いでもらいました。そこでは否が応でもあまり知らない人と会話することが余儀なくされ、とても緊張したものです。

ところが、今の若い人は幼い頃から携帯電話のやりとりが中心ですから、そのような体験はほとんどないことでしょう。携帯電話では、いきなり話したい相手と直接しゃべることができるからです。
ですから、今の若い人が「電話を通じて見ず知らずの人と話す」というトレーニングができていなくて当然といえます。

そのような体験を積んでこなかった若者が会社に入り、会社の電話が鳴ったとします。そこで先輩が、「おい、○○君、その電話取ってくれ。」と頼んだとします。するとその若者は「えっ、取っていいんですか?この電話、非通知ですよ。」というような笑い話も生まれるそうです。

このように、平成生まれの若者と40歳以上の年代の人間には、ベルリンの壁くらいのジェネレーションギャップがあるそうです。大谷さんが自社でインターン中の学生さんにその話をしたそうです。するとその学生さんは、「大谷さん、ベルリンの壁って何ですか?」と聞き返したそうです。ベルリンの壁の崩壊は1989年で、その学生さんの生まれる前の出来事です。大谷さんは、「ここにもジェネレーションギャップがあったのか。」と驚いたそうです。

今現在、私自身は10代や20代の若い人と話す機会がほとんどありません。一度是非若い人といろいろな話をしたいものだと思いました。

第192回 もののはじまり

国語のテキストを作成するにあたって、できるだけ面白い文章を作るようにしています。そのために『もののはじまり』〈ひかりのくに〉などの本も参考にしています。その本を読んでいると、いろいろ興味深いことが載っていて勉強になります。

例えば、「プール」です。日本の学校プールが最初にできたのは、1916(大正5)年だそうです。それは、今の大阪府の府立茨木高校の生徒たちが協力し合って工事を行い、半年かかって完成させたそうです。当時の高校生たちは、とても自主性が高かったのかもしれませんね。

また、今、多くの学校では始業時に「キンコンカンコン♪」というメロディーが流れます。これは「ウェストミンスターの鐘」という曲名で、イギリスのロンドンにあるウェストミンスター宮殿の時計塔が奏でる曲です。以前、学校では始業の合図はブザーやサイレンでした。それがこの曲に変わったのは、今から約50年前、私が中学生の頃だったと思います。

さて、私共の会社のすぐ近くには、同志社女子中学があり、朝の始業時にはこのメロディーが聞こえてきます。それを聞く度に、私は中学生の頃を思い出します。

第191回 伊能忠敬

伊能忠敬は日本各地を測量し、初めての正確な日本地図を作成した人物として、教科書でも有名です。彼は1800年から足かけ17年間、蝦夷地から九州まで10回にわたり測量し、外国の専門家も驚くほど緻密で正確な地図を作成しました。彼に関する逸話はいろいろとありますが、私が最近「面白い!」と思ったのは、熊本県の郷土史研究家である平田稔氏の文章から知ったことです。

氏は、伊能忠敬の測量チームが、どのようにして各地を測量していったかについて研究し、その一部を日経新聞7月10日朝刊にて発表しています。私は伊能忠敬の測量の仕方は次のようだろうと思っていました。
①数人のチームが歩測などしながらコツコツと各地を歩く。
②そのデータをまとめて地図にしていく。

さて、それについてじっくり考えてみると、このような方法では17年かけても日本地図を作ることは物理的に不可能だと言えるでしょう。日本の沿岸の海岸線を歩くだけで相当な距離があり、それを数名の人間が踏破しつつ地図にしていくわけですから、それは気が遠くなる作業です。

私は平田氏の文章を読んで、ようやく伊能忠敬の地図作りのシステムを理解することができ、「なるほど、それはすごい仕組みだ。それなら何とか17年あればやりきることができるだろう」と感心するとともに、納得しました。それは次のような仕組みです。

まず知らねばならないのは、伊能忠敬の測量は、途中から幕府の事業となったため、全面的に幕府の協力のもとに進められたということです。伊能忠敬の測量の計画が固まると、幕府は関係する藩の江戸屋敷に通達を出します。すると、藩邸は直ちに国元に飛脚便を出し、地元にいろいろな準備をさせます。地元では、伊能忠敬が現地入りする前に予備調査を行い、予め大まかな地図を作成しておきます。伊能忠敬の測量隊が現地入りすると、その地図が正しいかどうかを最新の計測器でチェックし、修正します。このようにして、次々と正確な地図を作っていったというわけです。

伊能忠敬の地図製作には、国と地域が一体になった、緻密なバックアップ体制があったのですね。

第190回 完全無農薬野菜への挑戦

私はマンションの一階の専用庭を使って、野菜作りをしています。それは、今年で3シーズン目を迎えます。初めの頃は、数多くの毛虫が発生して、それに悩まされました。毛虫は葉をアッという間に食い尽くします。

そこで私は来る日も来る日も毛虫退治に没頭しました。そうすると、2シーズン目からは、めっきりとその数を減らすことができました。そのコツは、葉の食われ方の観察です。葉が食われていて、その葉に黒いフンが落ちていると、「その近くに毛虫がいる」と推測できます。それが分かれば、あとは簡単です。その苗の周りの土を探ってみるのです。すると、必ずゴロンとした毛虫を見つけることができます。

さて、2シーズン目は雨の日が多く、ナメクジとヤスデの大発生に悩まされました。葉に光っている筋が見られると、それはナメクジの通った跡だと分かります。また、葉に小さな穴が開いていたり、苗の根が食われていたりすると、それはヤスデの仕業と分かります。それが分かっても、それらの虫がどこに潜んでいるかが分かりません。それらの虫を退治するという薬を少し使ってみましたが、あまり効果がありませんでした。

そこで私はある作戦を思い立ちました。それは、「安らかなねぐら作戦」です。具体的には、次の通りです。

まず畑の中でそれらの虫が潜んでいそうなところに、薄いレンガを置きます。それらの虫に安らかなねぐらを提供するのです。すると、夜中に葉をかじって満腹した虫たちは、明け方になると、そのレンガの下にもぐって、そこをねぐらにします。朝になると、私はそのレンガや庭のあちこちにあるプランターを一つ一つ全てひっくり返してチェックします。すると、そこにかなりの虫が潜んでいます。それらを退治していくというわけです。

私は、その作業を出勤前に、毎日毎日約数十分かけてやり続けました。すると、確実に虫は減り続け、被害を食い止めることができるようになりました。それはとても根気のいる作業でしたが、これでほぼ完全な無農薬栽培を実現することができました。しかし、こんなことは区画がはっきりした狭い場所だからできることで、普通の農地でやることは不可能なことでしょう。

この体験から、そのような土地で野菜を作るお百姓さんの苦労がよく分かりました。それとともに、虫たちと知恵比べする楽しさも味わうことができました。しかし、ここで安心して手を抜くことはできません。またいつ何時、虫たちが大発生するかもしれません。心を引き締め、毎朝毎朝レンガめくりをする今日この頃です。