第215回 『形容詞を使わない 大人の文章表現力』

先日、上記の本を読み、とても感動しました。

私たちの日常会話では、次のような表現をよく使っています。
① 人間の体はすごい。
② プロの投手の球は生で見るとすごい。
③ 今日は風がすごい。
このような表現は、会話では何とか通用しますが、文章表現の場合はどうなのでしょうか。

この①~③では、ただ単に「すごい」という言葉で、話し手の言いたい意味を伝えようとしています。しかし、聞き手にとっては「具体的に何がどうすごいの?」と思うことでしょう。今はやりの「やばい」という言葉もそうですが、私も含め、どうも最近はありきたりの言葉でいろいろな場面をいっしょくたにして表現してしまいがちなのかもしれません。

では、先程の①~③を聞き手や読み手にわかりやすく伝えるにはどうしたらよいのでしょうか。それは、「すごい」という形容詞を使わず、その様子をもっと具体的な言葉を使って表現することです。例えば、①ならば次の通りです。
① 人間の体は精巧に作られている。

いかがでしょうか。このように表現すれば、「何がすごいのか」について正確に相手に伝えることができます。もちろんそのためには、頭をフルに使って、その「すごさ」にふさわしい言葉を探し、文をつくることが必要になってきます。

②については次のように言い変えてはどうでしょうか。
② プロの投手の球は生で見ると、その速さや迫力に圧倒される。

この場合でも、「速さ」「迫力」「圧倒される」などの言葉を選び、それらを組み立てて文をつくることが求められます。これらの作業をすることで、「考える力」も鍛えられることでしょう。

子ども達の学年に関わらず、このようなトレーニングをさせることは、「考える力」や「語彙力」を増やすためにも、大切なことだと感じます。

第214回 最近の赤ちゃんの名前

2018年11月にベネッセから、2018年に生まれた赤ちゃんの名前のランキングが発表されました。

男の子の一番人気は「蓮(れん)」だそうです。2位は「陽翔(はると)」、3位が「陽太(ひなた)」です。男の子の名前では「陽」を使ったものが人気で、ベストテンの中に4つ入ったそうです。

また女の子の1位は「陽葵(ひまり)」で、ここにも「陽」が使われています。2位は「芽依(めい)」、3位は「莉子(りこ)」です。女の子の名前では2音のものが人気だそうで、トップテンのうち6つが2音の名前でした。

ちなみに私の名前は「実(みのる)」ですが、これは「作物の実る季節に生まれたことや、実り多い人生を歩んでほしい」との両親の願いが込められているようです。私はその名前をとても気に入っていますが、その名前は現代の感覚で言えば、かなり古くさいものなのかもしれません。しかし、よくよく考えてみれば、その感覚には、数十年以上ものずれがあるのですから、当たり前といえば当たり前のことなのでしょう。

第213回 『妻のトリセツ』

黒川伊保子さんという、人工知能研究者、脳科学コメンテイターの方が書かれた上記の本を読みました。この本を読むと、女性の脳と男性の脳の違いがわかり、「男と女では物の見方がこれだけ違うのか」ということがよくわかります。

その根底にあるのは、原始時代から始まる男と女の役割の違いです。例えば、女性はよく、昔すでにケリがついたはずの過去の失敗を、まるで今日起きたことのように語り出します。「あなたは昔、つわりがひどくてふらふらだった私に、何て言ったか覚えている?」といった調子です。男性はこのような言動を全く理解できません。しかし、それは女性にとっては、なくてはならない能力なのだそうです。

人は一個体が残せる子どもの数が少ないので、子育てには大きなエネルギーを要します。そのために、女性には「新たな問題に対し、人生の記憶を総動員して瞬時に答を出す機能」が備わっているそうです。そのために、即座に昔の記憶を呼び戻せるのだそうです。一方男性は、日々の狩りが仕事ですから、今目の前の獲物を捕ることに集中し、過去の些細なことは忘れてしまうのです。

このようなこと1つを知るだけで、男性と女性のすれ違いは、脳の構造が違うのだから致し方ないものだとわかります。それを知りさえすれば、「なんで俺(私)の言うことがわからないのか?」というストレスから解放されるように思います。つまり、互いが「みんな違って、みんないい」という心境になれば、男性と女性のいさかいはかなり解消されるのではないでしょうか。

次に、この本から男性が女性の立場を理解する上で大切なことを学びました。それは、「女性には目に見えない(名もない)家事がとても多いのだが、多くの男性はその大変さを理解せず、ねぎらいや共感のことばをかけられていない」ということです。その「名もない家事」とは、「床にゴミが落ちているので、それを拾ってゴミ箱に捨てる」とか、「生ゴミをポリ袋に入れて始末する」とか、「洗濯物をたたんで各自の衣類をしまっている場所にしまう」などのことです。そのようなことに費やす時間は、積もり積もるとかなりのものになりますが、私を含めて男性は、それらを当たり前のように思い、評価していません。そして、それが女性のストレスの1つになっているようです。それを知ってから私も、少しでもその「名もない家事」の負担を減らせるよう、心掛けています。すると、少し家内もそれに対し、助かってくれているようです。

さて最後に、「妻が絶望する夫のセリフ」をご紹介しましょう。男性はゆめゆめ、このような言葉を口にしないようにしましょう。
1)「だったらやらなくていいよ!」
2)「つまりこういうことだろう?」
3)「おかず、これだけ?」
4)「今日何してたの?」
5)「いいな~君は。一日子どもと一緒にいられて。」

第212回 最近の若者とチョコフレーク

「森永のチョコフレーク」は昭和の時代(1976年,昭和51年)から若者に愛され続けてきました。しかし、そのチョコフレークは来年の夏までに生産を終了するとのことです。この背景には、嗜好の変化というよりももっと大きな問題が潜んでいるようです。それは「ライフスタイルの変化」のようです。

最近の若者は、ポテトチップスを食べるときに「食べるときに手が汚れるから専用のトングで挟んで食べる」そうです。ではなぜ「手が汚れる」のを嫌がるのでしょうか。それは、スマホとの相性の悪さではないかと言われています。つまり、油やチョコで汚れた手でスマホをいじるのは敬遠したいという心境です。

チョコフレークが誕生した時代には、スマホなどはありませんでした。ですから、その当時の開発者には「お菓子を食べるときに手が汚れるのは嫌」という顧客の感情は想定外だったことでしょう。こんなことを考えると、これからは一個一個きちんと包装された「手が汚れないお菓子」が流行るのかもしれません。

第211回 社会人にとって必要となる学校での勉強内容

若い人が学校を卒業し、社会に巣立って行ったとき、学校で学んだ勉強がどれくらい実生活に役立つのでしょうか。数学や算数でいえば、「解の公式」などは使われることはありません。しかし、「割合」や「比」などは、必須の知識といえるでしょう。

例えば、「5000円の商品に8%の消費税が加わると、その値段はいくらになるか」などという場合です。そのようなとき、即座に計算ができる力を持っていることはとても大切だと思います。つまり、頭の中で「8×5=40だから、税金の分は400円。5000円に400円を加えて、合計5400円」と暗算できる力は重要だということです。

これができずに電卓だけをたよりにすると、とんでもない数字になっても、その間違いに気が付かないということになります。つまり、日頃から、「5000円の1割は500円だから、その値段はおよそ5500円より少し少ないくらいだろう」というような頭の働きができていれば、大幅なミスは防げることでしょう。ところが、そのような頭の働きができずに、ただ闇雲に電卓をたたくだけになってしまうと、入力ミスで4000円とか8000円という答えになったとしても、「その答えはおかしい」と気付くことができません。そういった意味でも、最低限の数学や算数の知識は是非身につけておくべきことでしょう。

また国語力にしてもそうです。例えば、私がある店で買い物をして、その店の人に領収書を書いてくれるよう頼んだとします。そのとき、私が「この領収書の宛名は『都麦出版』でお願いします。つむぎの『つ』はみやこ(都)という字、『むぎ』は米や麦のむぎ(麦)、『しゅっぱん』は『本を出版する』という意味のしゅっぱん(出版)です」と言ったとします。このとき、平均的な国語力のある人ならすらすらと「都麦出版」と書くことでしょう。しかし、国語力が不足している人なら「すみません、どういう字かわからないので、お客様の方でこの紙にその字を書いてください。」という対応をとることでしょう。それはそれで構わないことかもしれませんが、やはりそれでは少し恥ずかしいことだと感じます。

世の中には「勉強は何のためにするのか」と思っている子どももいることでしょう。その答として、まずは「社会に出てから不自由なく暮らせるための土台を身につけるため」ということが言えるのではないでしょうか。

第210回 コンビニの話

皆さんは、コンビニをよく利用されますか。私自身はあまりコンビニで買い物をしないので、時々しか利用しません。しかし、何かの支払いの時など、便利なのでとても有り難いお店だと思います。

特に、ドライブの時などにトイレを借りることができるのは、とても助かります。そのときはまず、「トイレをお借りしていいですか」と声をかけ、終わったらそのお礼に缶コーヒーなど、何かを買うのは常識だと思っています。

しかし先日、『コンビニ店長の残酷日記』三宮貞雄 著〈小学館新書〉という本を読んで、そのようなことは今はまれであることを知りました。今や多くの人は、コンビニのトイレは、まるで公衆便所のように、「使って当たり前」と感じているとのことです。ひどい場合には、自宅のトイレ代わりに1日に何回も平気で使う人もいるようです。また、トイレ内の備品を平気で壊したり、盗んだりする人もいるとのことです。

世の中には「コンビニは社会インフラだ」などと思っている人もいるようですが、コンビニのトイレは、コンビニのオーナーが自費で設置しているものですし、その備品も全てオーナーの負担です。そのようなことも配慮出来ない人が増えているのかと、この本を読んで愕然としました。

その他にも、この本を読んで、コンビニのオーナーの大変さをつくづく感じました。その一つが、弁当などの廃棄処分の問題です。コンビニの本部は、できるだけたくさんの食品を各コンビニに納品し、利益を少しでも増やそうとするようです。もし、弁当などが売れ残って廃棄処分となる場合には、その費用は全てコンビニのオーナーの負担となります。そのため、コンビニのオーナーはそれらを自家消費したり、パートの人々に持ち帰ってもらったりすることも多いようです。

この本を読むと、コンビニのオーナーの大変さがとてもよくわかります。また、このような実状を知れば知るほど、コンビニの有り難さがわかり、トイレを借りたときは、何百円かの買い物をするのは当たり前のマナーだと感じます。

第209回 皮膚感覚の大切さ

発達支援コーチである灰谷孝氏の講演のダイジェスト文を読んでいて、「なるほど!」と勉強になることがたくさんありました。それは、「皮膚感覚の大切さ」です。

動物の卵子は、受精した後、次々に細胞分裂していろいろな器官が作られていきます。その時に、脳と皮膚は同じ部分から生まれるのです。そのため、皮膚感覚を磨くということは、脳の発達と連動するのだそうです。この発達は、3歳頃までに活発に行われるそうで、赤ちゃんが寝返りをうったり、抱っこされたりすることも、その成長にとって大切なことだそうです。それらの発達にとって大切な時期には、子どもはよく水遊びや泥んこ遊びをやりたがるそうです。子どもは本能的にそれらの遊びを求めるようです。

私自身も小さい頃、川遊びや泥んこ遊びが大好きでしたが、それはそのような理由に基づくものだったとわかりました。小さい子をもつ保護者の方々は、子どもの脳を育てるという意味でも、子どもにそのような遊びを思う存分させてあげることが大切なようです。

第208回「日本人らしさ」とは?

最近『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』雨宮紫苑〈新潮新書〉という本を読みました。著者は立教大学文学部を卒業したあと、ドイツに移住し、ドイツ人のパートナーと暮らしているフリーライターです。私自身は大学時代、ドイツで半年ほどアルバイトをしながら暮らしたことがあるので、とても興味深くこの本を読みました。

その中の一つに「日本人は罪悪感に敏感で『自分が悪い』と自省しやすく、そのため、罪悪感を感じる行動を避ける」ということが挙げられていました。

日本では、例えば仕事上、何らかの不手際で上司に注意されたとします。すると、自分の責任でなくても無意識に「すみません」と謝ってしまいます。また、人にものを頼むときでも「悪いけどお願いね」とか、「お手数ですけどよろしくお願いします」などの言葉が出てしまいます。

一方ドイツでは、自分の仕事でなければ、「それは私の仕事じゃないのでやりません」とか、「この仕事をして下さい」というように、人間関係がとてもドライだそうです。

日本では、有給休暇の取得がしにくいことの理由の一つに、「上司がそれを許可してくれるかわからない」という不安があります。しかし、それ以上の理由として、「自分が休みを取ることで、周りに迷惑をかけるかもしれない」というように、その根底には「罪悪感」が潜んでいるのではないかと著者は述べています。日本人の感性の根底には、「他人に悪く思われたくない」「他人を満足させようと努力する」という意識が他の民族より強いのかもしれません。

結論として言えることは、「日本人は他の民族より、相手への感謝とか労りを強く意識する感性をもつ民族である」と言えるのかもしれません。それはとても素晴らしいことですが、それが過ぎると、他人に気を遣いすぎるあまり、自分がしたいことや主張を貫くことを遠慮してしまうという恐れもあります。
私としては、一生に一度しかない人生なので、やりたいことを思う存分やって、納得のいく人生を送りたいと思います。

第207回 日本の国は「わからない!」

外国人が日本にやってくると「わからない!」ことが多くあるそうです。例えばウォシュレット。ウォシュレットは日本独特のもので、ヨーロッパなどではまだ広まっていません。そこで、外国人がウォシュレットに遭遇すると、何が何だかわからず、そこら中のボタンを触りまくり、お尻がびっしょりになって、パニックになったりするそうです。また、「旅館」にしてもそうです。「夜は部屋食で、適当な時間に仲居さんが布団を敷きにきてくれる」などの文化は、外国人には全く理解できないそうです。

日本人はそんなことは当たり前だと思っていても、外国人にはわからないことだらけのことが多いようで、外国人の立場に立って、いろいろな説明書きを用意しておくことが大切なようです。そういうことを理解して、私たちが外国に行くと「わからない!」と感じることは少ないと気付きます。それだけ、外国の文化が日本に入り込んでいるからでしょう。

私が一生のうちで一番「わからない!」と思った体験があります。それは五十年前、トルコからインドに向けてバスで旅行した時のことです。バスがイランのある町でトイレ休憩で止まり、そこで入ったトイレがそれです。トイレの中にはトイレットペーパーはなく、あるのは水瓶に入った水とひしゃくです。私はあの時の狼狽ぶりを、今でも昨日のことのように覚えています。

第206回 私たちの人生を操る怖いもの

このタイトルを見て、皆さんは何を感じますか。この「もの」は、気が付かないうちに体の中に入り込んで、私たちの意に反して動き回り、私たちの人生を操っています。そして、それをコントロールするのはとても難しいものです。ただ俗に言う「成功者」と呼ばれる人たちは、これを上手に味方にして、苦労なく欲しいものを手に入れています。一体それは何でしょうか。

それは「習慣」です。習慣は、何も考えずに勝手に体が動いてしまうので厄介です。私も、少し時間のあるとき、フェイスブックやユーチューブなどを見始めると、ついダラダラとそれを見てしまいます。後になって、「それよりも、まだ読んでいない本を読むべきだった」などと後悔します。このように、習慣とは厄介なものです。

悪い習慣を断ち切り、前向きな習慣を身につけるには、絶えず自分自身に対して「今のままでいいのか」という厳しい目を向けたり、「変えよう!」という強い決意が必要です。

私自身は「毎朝早く起きて、ストレッチや筋トレを30分程度してから会社に行く」などの習慣はできていますが、晩御飯の時に、ついついお酒を飲みすぎてしまうなどの習慣は直せていません。飲む量を適正にするには、どういう動作やルールを自分の新しい習慣として加えていくかを、今後は考えて、実行していくことが大切なのかもしれません。