第219回 世の中の大きな変化

私は2019年から数年間にわたり、世の中に大きな変化が起きるような予感がしています。その前ぶれと思えるような変化が「タクシーの無料化」です。今までからの常識として、そんなことが信じられるでしょうか。

無料タクシー(0円タクシー)は、あのディー・エヌ・エー(DeNA)が都内に走らせているものです。このタクシーは、日清食品とコラボされたもので、「どん兵衛タクシー」と呼ばれています。対象区域は、新宿区など5区で、目的地は東京23区内全てOKだそうです。配車台数は50台。このタクシーをつかまえることができたら、本当にラッキーですね。

では一体なぜ、無料のタクシーを走らせることができるのでしょうか。それは、日清食品がタクシー代の全額を、広告費用として支払ってくれるからです。そのタクシーの中には、「どん兵衛」のプロモーション動画が流れ、タクシーの外装も内装もどん兵衛一色だそうです。
これから自動車の無人走行が現実のものになると、このようなタクシーがどんどん増えるかもしれませんね。

第218回 あくなき向上心

ある雑誌でカレーの「ココイチ」が新しい試みをしていることを知りました。普通、外食チェーンなどが売上を上げようとしたり、もっと多くの客を呼び込もうとするときは、割引券を配ったり、ポイント○倍などのキャンペーンをするのが普通です。でも、ココイチはそんなことをせず、別の路線をとっているそうです。

それは、ココイチを「漫画喫茶化」する方向性だそうです。今やココイチでは、全店舗の約半分、およそ700店に書棚を置き、1店舗あたり平均約1500冊ものコミック本を備えているそうです。ココイチはなぜこのような路線を進もうとしているのでしょうか。

それは、徹底したアイドルタイムの研究によるものだそうです。つまり、「ランチやディナーの間の、客がまばらにしか来ない時間帯には、客はどこに居るのだろうか?」という分析です。そのような観点から、あらゆる場所に目を向けた結果、出てきたものが「漫画喫茶」だったそうです。

もしココイチが漫画喫茶化すれば、今まで漫画喫茶にいた人々をココイチに呼び込めるし、ドリンクなどの売上増が期待できます。また、投資額としても、コミック本なら中古で安く仕入れられるし、一度揃えれば、汚れたり破損したりするまで使えるので、そんなに大きなものにはなりません。
経営陣は、漫画喫茶化による客数増やドリンクなどの追加売上増を計算した上で、漫画喫茶化への投資を決断したのでしょう。

ココイチではその他にも、全国の店舗でWi-Fiの導入を行ったり、コンセントの設置を行うなどの工夫をして、顧客への利便性を図っています。

私は、ココイチのこのようなたゆまぬ集客努力に感心しました。このような発想を利用して、塾においても、昼間のアイドルタイムに地域の人々に何か貢献するというような企画を考えるのも、一案かもしれません。

第217回 中国の行く末

お正月に『習近平のデジタル文化大革命』川島博之著〈講談社〉という本を読みました。この本を読んで、中国の行く末がとてもよくわかった気がしました。

まず中国では、急速度でデジタル文化大革命が進んでいるそうです。それは究極の監視社会を意味します。現在、中国には監視カメラが1.7億台以上も設置され、その映像は画像識別システムによって分析され、人々全ての行動が監視されているそうです。

その結果、人々はビクビクしながら毎日を過ごすことになるでしょう。そして、そのような社会が進めば、イノベーションを生み出す創造力は抑えられ、娯楽や文化は衰退していくことでしょう。その結果、いずれ中国の経済は停滞していくと思われ、よい職につけない大卒者も激増するようです。さらに、その後の中国についてもこの本では言及しており、その内容についてもとても興味深いものでした。

中国の行く末についてご興味のある方は、ご一読されてはいかがでしょうか。

第216回 人間の「白目」はなぜ発達したのか?

ある誌面でこのタイトルを見て、私はとても驚きました。それは、「人間の白目がなぜ発達したのか?」などということについて、考えたことも聞いたこともなかったからです。このタイトルをつけた文面は、京都大学の総長である山極壽一氏の講演のダイジェスト文に収録されていました。

さてみなさん、サルとゴリラでは、どちらが人間に近いかご存知ですか。それはゴリラです。サルは笑い声をたてませんが、ゴリラはたてます。またさらに興味深いのは、「サルは対面しない(相手の目を見ない)が、ゴリラは相手と顔を見合わせて、相手を見る仕草をする」そうです。サルにとって対面する局面は、威嚇の意味を含んでいますが、ゴリラの対面は、相手を観察するためなのかもしれません。

人間も、会話や食事など、いろいろな場面で対面をします。これによって、相手の気持ちをくみ取ったり、その変化を感じ取ったりすることができます。そのときに役立つのが「白目」です。白目を見ると、目の動きが良くわかります。そう言われてみると、動物には白目がなく、目の動きがわかりにくいと感じます。つまり、人間は白目を発達させることによって、相手の気持ちをくみ取る能力を高めていったようです。

私自身は時々、相手の目を見ないで話をしてしまうことがあり、それをなくすように注意しています。私は、これらの事実を知って、「これからは、せっかく人間だけに与えられた白目の特性を生かして、相手の気持ちをさらにくみ取れるよう、意識していこう」と感じました。

第215回 『形容詞を使わない 大人の文章表現力』

先日、上記の本を読み、とても感動しました。

私たちの日常会話では、次のような表現をよく使っています。
① 人間の体はすごい。
② プロの投手の球は生で見るとすごい。
③ 今日は風がすごい。
このような表現は、会話では何とか通用しますが、文章表現の場合はどうなのでしょうか。

この①~③では、ただ単に「すごい」という言葉で、話し手の言いたい意味を伝えようとしています。しかし、聞き手にとっては「具体的に何がどうすごいの?」と思うことでしょう。今はやりの「やばい」という言葉もそうですが、私も含め、どうも最近はありきたりの言葉でいろいろな場面をいっしょくたにして表現してしまいがちなのかもしれません。

では、先程の①~③を聞き手や読み手にわかりやすく伝えるにはどうしたらよいのでしょうか。それは、「すごい」という形容詞を使わず、その様子をもっと具体的な言葉を使って表現することです。例えば、①ならば次の通りです。
① 人間の体は精巧に作られている。

いかがでしょうか。このように表現すれば、「何がすごいのか」について正確に相手に伝えることができます。もちろんそのためには、頭をフルに使って、その「すごさ」にふさわしい言葉を探し、文をつくることが必要になってきます。

②については次のように言い変えてはどうでしょうか。
② プロの投手の球は生で見ると、その速さや迫力に圧倒される。

この場合でも、「速さ」「迫力」「圧倒される」などの言葉を選び、それらを組み立てて文をつくることが求められます。これらの作業をすることで、「考える力」も鍛えられることでしょう。

子ども達の学年に関わらず、このようなトレーニングをさせることは、「考える力」や「語彙力」を増やすためにも、大切なことだと感じます。

第214回 最近の赤ちゃんの名前

2018年11月にベネッセから、2018年に生まれた赤ちゃんの名前のランキングが発表されました。

男の子の一番人気は「蓮(れん)」だそうです。2位は「陽翔(はると)」、3位が「陽太(ひなた)」です。男の子の名前では「陽」を使ったものが人気で、ベストテンの中に4つ入ったそうです。

また女の子の1位は「陽葵(ひまり)」で、ここにも「陽」が使われています。2位は「芽依(めい)」、3位は「莉子(りこ)」です。女の子の名前では2音のものが人気だそうで、トップテンのうち6つが2音の名前でした。

ちなみに私の名前は「実(みのる)」ですが、これは「作物の実る季節に生まれたことや、実り多い人生を歩んでほしい」との両親の願いが込められているようです。私はその名前をとても気に入っていますが、その名前は現代の感覚で言えば、かなり古くさいものなのかもしれません。しかし、よくよく考えてみれば、その感覚には、数十年以上ものずれがあるのですから、当たり前といえば当たり前のことなのでしょう。

第213回 『妻のトリセツ』

黒川伊保子さんという、人工知能研究者、脳科学コメンテイターの方が書かれた上記の本を読みました。この本を読むと、女性の脳と男性の脳の違いがわかり、「男と女では物の見方がこれだけ違うのか」ということがよくわかります。

その根底にあるのは、原始時代から始まる男と女の役割の違いです。例えば、女性はよく、昔すでにケリがついたはずの過去の失敗を、まるで今日起きたことのように語り出します。「あなたは昔、つわりがひどくてふらふらだった私に、何て言ったか覚えている?」といった調子です。男性はこのような言動を全く理解できません。しかし、それは女性にとっては、なくてはならない能力なのだそうです。

人は一個体が残せる子どもの数が少ないので、子育てには大きなエネルギーを要します。そのために、女性には「新たな問題に対し、人生の記憶を総動員して瞬時に答を出す機能」が備わっているそうです。そのために、即座に昔の記憶を呼び戻せるのだそうです。一方男性は、日々の狩りが仕事ですから、今目の前の獲物を捕ることに集中し、過去の些細なことは忘れてしまうのです。

このようなこと1つを知るだけで、男性と女性のすれ違いは、脳の構造が違うのだから致し方ないものだとわかります。それを知りさえすれば、「なんで俺(私)の言うことがわからないのか?」というストレスから解放されるように思います。つまり、互いが「みんな違って、みんないい」という心境になれば、男性と女性のいさかいはかなり解消されるのではないでしょうか。

次に、この本から男性が女性の立場を理解する上で大切なことを学びました。それは、「女性には目に見えない(名もない)家事がとても多いのだが、多くの男性はその大変さを理解せず、ねぎらいや共感のことばをかけられていない」ということです。その「名もない家事」とは、「床にゴミが落ちているので、それを拾ってゴミ箱に捨てる」とか、「生ゴミをポリ袋に入れて始末する」とか、「洗濯物をたたんで各自の衣類をしまっている場所にしまう」などのことです。そのようなことに費やす時間は、積もり積もるとかなりのものになりますが、私を含めて男性は、それらを当たり前のように思い、評価していません。そして、それが女性のストレスの1つになっているようです。それを知ってから私も、少しでもその「名もない家事」の負担を減らせるよう、心掛けています。すると、少し家内もそれに対し、助かってくれているようです。

さて最後に、「妻が絶望する夫のセリフ」をご紹介しましょう。男性はゆめゆめ、このような言葉を口にしないようにしましょう。
1)「だったらやらなくていいよ!」
2)「つまりこういうことだろう?」
3)「おかず、これだけ?」
4)「今日何してたの?」
5)「いいな~君は。一日子どもと一緒にいられて。」

第212回 最近の若者とチョコフレーク

「森永のチョコフレーク」は昭和の時代(1976年,昭和51年)から若者に愛され続けてきました。しかし、そのチョコフレークは来年の夏までに生産を終了するとのことです。この背景には、嗜好の変化というよりももっと大きな問題が潜んでいるようです。それは「ライフスタイルの変化」のようです。

最近の若者は、ポテトチップスを食べるときに「食べるときに手が汚れるから専用のトングで挟んで食べる」そうです。ではなぜ「手が汚れる」のを嫌がるのでしょうか。それは、スマホとの相性の悪さではないかと言われています。つまり、油やチョコで汚れた手でスマホをいじるのは敬遠したいという心境です。

チョコフレークが誕生した時代には、スマホなどはありませんでした。ですから、その当時の開発者には「お菓子を食べるときに手が汚れるのは嫌」という顧客の感情は想定外だったことでしょう。こんなことを考えると、これからは一個一個きちんと包装された「手が汚れないお菓子」が流行るのかもしれません。

第211回 社会人にとって必要となる学校での勉強内容

若い人が学校を卒業し、社会に巣立って行ったとき、学校で学んだ勉強がどれくらい実生活に役立つのでしょうか。数学や算数でいえば、「解の公式」などは使われることはありません。しかし、「割合」や「比」などは、必須の知識といえるでしょう。

例えば、「5000円の商品に8%の消費税が加わると、その値段はいくらになるか」などという場合です。そのようなとき、即座に計算ができる力を持っていることはとても大切だと思います。つまり、頭の中で「8×5=40だから、税金の分は400円。5000円に400円を加えて、合計5400円」と暗算できる力は重要だということです。

これができずに電卓だけをたよりにすると、とんでもない数字になっても、その間違いに気が付かないということになります。つまり、日頃から、「5000円の1割は500円だから、その値段はおよそ5500円より少し少ないくらいだろう」というような頭の働きができていれば、大幅なミスは防げることでしょう。ところが、そのような頭の働きができずに、ただ闇雲に電卓をたたくだけになってしまうと、入力ミスで4000円とか8000円という答えになったとしても、「その答えはおかしい」と気付くことができません。そういった意味でも、最低限の数学や算数の知識は是非身につけておくべきことでしょう。

また国語力にしてもそうです。例えば、私がある店で買い物をして、その店の人に領収書を書いてくれるよう頼んだとします。そのとき、私が「この領収書の宛名は『都麦出版』でお願いします。つむぎの『つ』はみやこ(都)という字、『むぎ』は米や麦のむぎ(麦)、『しゅっぱん』は『本を出版する』という意味のしゅっぱん(出版)です」と言ったとします。このとき、平均的な国語力のある人ならすらすらと「都麦出版」と書くことでしょう。しかし、国語力が不足している人なら「すみません、どういう字かわからないので、お客様の方でこの紙にその字を書いてください。」という対応をとることでしょう。それはそれで構わないことかもしれませんが、やはりそれでは少し恥ずかしいことだと感じます。

世の中には「勉強は何のためにするのか」と思っている子どももいることでしょう。その答として、まずは「社会に出てから不自由なく暮らせるための土台を身につけるため」ということが言えるのではないでしょうか。

第210回 コンビニの話

皆さんは、コンビニをよく利用されますか。私自身はあまりコンビニで買い物をしないので、時々しか利用しません。しかし、何かの支払いの時など、便利なのでとても有り難いお店だと思います。

特に、ドライブの時などにトイレを借りることができるのは、とても助かります。そのときはまず、「トイレをお借りしていいですか」と声をかけ、終わったらそのお礼に缶コーヒーなど、何かを買うのは常識だと思っています。

しかし先日、『コンビニ店長の残酷日記』三宮貞雄 著〈小学館新書〉という本を読んで、そのようなことは今はまれであることを知りました。今や多くの人は、コンビニのトイレは、まるで公衆便所のように、「使って当たり前」と感じているとのことです。ひどい場合には、自宅のトイレ代わりに1日に何回も平気で使う人もいるようです。また、トイレ内の備品を平気で壊したり、盗んだりする人もいるとのことです。

世の中には「コンビニは社会インフラだ」などと思っている人もいるようですが、コンビニのトイレは、コンビニのオーナーが自費で設置しているものですし、その備品も全てオーナーの負担です。そのようなことも配慮出来ない人が増えているのかと、この本を読んで愕然としました。

その他にも、この本を読んで、コンビニのオーナーの大変さをつくづく感じました。その一つが、弁当などの廃棄処分の問題です。コンビニの本部は、できるだけたくさんの食品を各コンビニに納品し、利益を少しでも増やそうとするようです。もし、弁当などが売れ残って廃棄処分となる場合には、その費用は全てコンビニのオーナーの負担となります。そのため、コンビニのオーナーはそれらを自家消費したり、パートの人々に持ち帰ってもらったりすることも多いようです。

この本を読むと、コンビニのオーナーの大変さがとてもよくわかります。また、このような実状を知れば知るほど、コンビニの有り難さがわかり、トイレを借りたときは、何百円かの買い物をするのは当たり前のマナーだと感じます。