第211回 社会人にとって必要となる学校での勉強内容

若い人が学校を卒業し、社会に巣立って行ったとき、学校で学んだ勉強がどれくらい実生活に役立つのでしょうか。数学や算数でいえば、「解の公式」などは使われることはありません。しかし、「割合」や「比」などは、必須の知識といえるでしょう。

例えば、「5000円の商品に8%の消費税が加わると、その値段はいくらになるか」などという場合です。そのようなとき、即座に計算ができる力を持っていることはとても大切だと思います。つまり、頭の中で「8×5=40だから、税金の分は400円。5000円に400円を加えて、合計5400円」と暗算できる力は重要だということです。

これができずに電卓だけをたよりにすると、とんでもない数字になっても、その間違いに気が付かないということになります。つまり、日頃から、「5000円の1割は500円だから、その値段はおよそ5500円より少し少ないくらいだろう」というような頭の働きができていれば、大幅なミスは防げることでしょう。ところが、そのような頭の働きができずに、ただ闇雲に電卓をたたくだけになってしまうと、入力ミスで4000円とか8000円という答えになったとしても、「その答えはおかしい」と気付くことができません。そういった意味でも、最低限の数学や算数の知識は是非身につけておくべきことでしょう。

また国語力にしてもそうです。例えば、私がある店で買い物をして、その店の人に領収書を書いてくれるよう頼んだとします。そのとき、私が「この領収書の宛名は『都麦出版』でお願いします。つむぎの『つ』はみやこ(都)という字、『むぎ』は米や麦のむぎ(麦)、『しゅっぱん』は『本を出版する』という意味のしゅっぱん(出版)です」と言ったとします。このとき、平均的な国語力のある人ならすらすらと「都麦出版」と書くことでしょう。しかし、国語力が不足している人なら「すみません、どういう字かわからないので、お客様の方でこの紙にその字を書いてください。」という対応をとることでしょう。それはそれで構わないことかもしれませんが、やはりそれでは少し恥ずかしいことだと感じます。

世の中には「勉強は何のためにするのか」と思っている子どももいることでしょう。その答として、まずは「社会に出てから不自由なく暮らせるための土台を身につけるため」ということが言えるのではないでしょうか。

第210回 コンビニの話

皆さんは、コンビニをよく利用されますか。私自身はあまりコンビニで買い物をしないので、時々しか利用しません。しかし、何かの支払いの時など、便利なのでとても有り難いお店だと思います。

特に、ドライブの時などにトイレを借りることができるのは、とても助かります。そのときはまず、「トイレをお借りしていいですか」と声をかけ、終わったらそのお礼に缶コーヒーなど、何かを買うのは常識だと思っています。

しかし先日、『コンビニ店長の残酷日記』三宮貞雄 著〈小学館新書〉という本を読んで、そのようなことは今はまれであることを知りました。今や多くの人は、コンビニのトイレは、まるで公衆便所のように、「使って当たり前」と感じているとのことです。ひどい場合には、自宅のトイレ代わりに1日に何回も平気で使う人もいるようです。また、トイレ内の備品を平気で壊したり、盗んだりする人もいるとのことです。

世の中には「コンビニは社会インフラだ」などと思っている人もいるようですが、コンビニのトイレは、コンビニのオーナーが自費で設置しているものですし、その備品も全てオーナーの負担です。そのようなことも配慮出来ない人が増えているのかと、この本を読んで愕然としました。

その他にも、この本を読んで、コンビニのオーナーの大変さをつくづく感じました。その一つが、弁当などの廃棄処分の問題です。コンビニの本部は、できるだけたくさんの食品を各コンビニに納品し、利益を少しでも増やそうとするようです。もし、弁当などが売れ残って廃棄処分となる場合には、その費用は全てコンビニのオーナーの負担となります。そのため、コンビニのオーナーはそれらを自家消費したり、パートの人々に持ち帰ってもらったりすることも多いようです。

この本を読むと、コンビニのオーナーの大変さがとてもよくわかります。また、このような実状を知れば知るほど、コンビニの有り難さがわかり、トイレを借りたときは、何百円かの買い物をするのは当たり前のマナーだと感じます。